黄桃という奇跡

『どうして私が美術科に!?』の尊さは、桃音と黄奈子の奇跡的な関係にあると思う。

どうして私が美術科に! ? (2) (まんがタイムKRコミックス) どうして私が美術科に! ? (2) (まんがタイムKRコミックス)

どうびじゅは「尊い」とあちこちで言われています。
「第一回尊いサミット」という企画があり、 どういうところに尊さを感じるか、あるいはそもそも尊いとは何だ、ということを多くの人が書いています。 twitter.com

尊い」とは貴重なことだ、と書いている記事がいくつかあります。
それが間違いだとは思いませんが、少なくともどうびじゅについては、 もう一歩踏み込んで、尊いには「奇跡的である」という意味が含まれる、と言っても良いでしょう。

どうびじゅの何が奇跡的かと言うと、それは「桃音と黄奈子の関係」です。

間違って美術科に入ってしまった桃音。
親の懇願に負けて美術科に入った黄奈子。
どちらもポジティブな理由があって美術科に入ったわけではなく、 状況が少しでも違えば美術科で出会うことはなかったでしょう。
偶然が重なって起こった2人の出会いは奇跡的ですし、 そんな2人が美術X室で一緒に過ごしていることも奇跡です。

逆に、「奇跡的ではないこと」もどうびじゅには多く描かれています。
小学校の頃に仲が良かった蒼と紫苑が高校でも息が合っていること。
中学の部活の先輩と後輩だった翠玉と黄奈子が高校で軽口をたたき合うこと。
大学の同期だった玄恵と白雪が同僚としても仲が良いこと。

過去を共有しているから今でも強い関係がある、というのは奇跡ではなく必然です。
必然性がもっとも強く表れているのが蒼と紫苑で、 中学の3年間を離れて暮らし、お互いに相手の様子が分からず寂しく思っていたにもかかわらず、 離れている期間が終われば「これからは一緒にいよう」と宣言できるくらい確固としています。

それに対し、桃音と黄奈子の関係は不安定です。
高校からの付き合いでしかなく、どちらも進んで入学したわけではない。 だから、桃音が普通科に転科したり黄奈子が美術のことを諦めてしまえばそこで関係は終わってしまう。
実際、文化祭回では何気ない桃音の一言で黄奈子との関係が壊れかけています。

そんな簡単に壊れてしまう桃音と黄奈子の関係が痛切に描かれているのが、 2巻の帯に推薦の言葉を書いているくろば・U氏による二次創作『桃色、黄色、とうめい、はいいろ』です。
桃音と黄奈子のもろさが一次よりも強く出ていて、 ネガティブな理由で出会った2人の関係が続くことこそが尊さだ、という主張を感じます。

『桃色、黄色、とうめい、はいいろ』は、2人の関係が大きく崩れたらどうなるのか、という話ですが、 本編の方では少しずつ不安定さがなくなっています。
文化祭でのすれ違いはお互いの告白で幕を閉じ、その後のタイポグラフィ回では、 「過ごした時間の長さは関係なく桃音のことが大切だ」と黄奈子が語っています。
奇跡的な始まった関係が徐々に必然に変わろうとしている、と言えるかもしれません。

間違って入った、親に根負けして入学した、というネガティブなきっかけで出会った2人が、 ネガティブな理由があるからこそ強い関係を築けるという奇跡。
『どうして私が美術科に!?』の尊さはそこにあるのでしょう。