上越を旅した

越後湯沢と湯檜曽の周辺を旅した。

東京駅から上越新幹線に乗った。
窓の外は切れ目なく住宅が続くが、大宮を出ると田畑が目立つ。 熊谷駅や高崎駅に着くと都市が復活する。
高崎からは山が近づいてくるが、町はまだ遠くまで広がっている。
長いトンネルを抜けると山の中に出る。
建物の数が急激に減る。 さらにいくつかトンネルを過ぎると、すぐに越後湯沢駅に着く。

駅構内には広いロッカーがあるが、スキーの季節ではないため人気がない。 土産物屋もかなりの広さがあり、こちらはそれなりに人がいた。

駅の西側に出ると温泉街がある。
道路に沿って旅館、レストラン、土産物屋が並ぶ。 少し奥に行くと大きなホテルがいくつもあり、その間に民家が建っている。 ホテルのすぐ裏には山が迫っている。
山奥に入っていくと不動滝がある。
舗装道が延びていたが人はいない。 それほど見応えのある滝でもなかった。

山の中腹が切り開かれていて、リフトが伸びている。 冬にはゲレンデになるのだろうが、初夏なので濃い緑の草原だった。
山際にスキー客向けの店やロッジが並んでいる。 閉まっている代わりに洗濯物が干してあり、生活感がある。

夏のスキー場

止まっているリフトや閉まっているスキー用品店の間を抜けて、ガーラ湯沢駅まで歩いた。
駅自体が閉鎖されていていて生気がない。 付近には駐車場も多いが、駐車している自動車は滅多に見ない。 通り過ぎていく車はそれなりにいた。

越後湯沢駅ガーラ湯沢駅の間は『雪国』の舞台になったそうで、 資料館や散歩道があり、あちこちに作品や作者の逸話を書いた看板が立っていた。
作品とはおそらくほとんど関係がない看板もあった。

上越新幹線の西側、楽町の辺りは住宅地だった。 たまにロッジや浴場があるのを除けば、よくある地方都市という感じである。
多くの一戸建てで、1階部分が少し高くなっていて、ドアと道の間に階段が付いていた。 階段の周囲は透明なプラスチックで囲われている。
冬には雪が多く積もりそうな街並みだった。

温泉街の方に戻り、湯沢高原ロープウェイに乗る。
温泉街もスキー場も寂しい状態だが、ロープウェイ乗り場は活気があった。 家族連れや団体客がいて、ゴンドラには20人くらいが乗っていた。

山頂からは湯沢の町が見下ろせる。
山に囲まれた細長い土地で、建物は越後湯沢駅の周辺に集中している。 駅から離れると水田や空き地が目立つが、大きなホテルが何カ所かに固まって建っている。
リゾート地らしい光景である。
遠くはどの方角にも山々が続いているが、北の方には低地があり、水田が広がっていた。

街の反対側に降りていくと、前にはずっと山と空しか見えない。
向かいの山にはスキー場があり、動いていないがリフトが発達している。

道に沿って子ども向けの施設がいくつかあり、下っていくと高山植物園に着く。
山の中腹にある植物園だが、池や遊歩道がきれいに整備されていて、小さなカフェもある。 冬場は雪に埋もれそうなところだが、カネと人手がかかっていそうだ。

ミヤマオダマキ

高山植物はあちこちに咲いていてカラフルだった。 全体的に坂になっているので眺めも良い。
老夫婦が何組か、のんびり歩いているのが微笑ましかった。

帰りは山頂までリフトに乗った。 大した高さでもないし動かなければ落ちないはずだが、 動かないようにしないと落ちてしまいそうなのが怖かった。
山頂には店がいくつも建っていて、中には見捨てられたような建物もある。
アイスクリームを食べ、ロープウェイに乗って下山した。

越後湯沢の中心部から東の方に行く。
駅の東側には観光客向けの施設は少なく、住宅地になっている。 集合住宅が多いようにも思ったが、すぐに建物は途切れる。
公園と関越自動車道を越えると川がある、川の対岸は山だった。
川沿いの道は、車はそれなりに通るが歩行者は滅多にいない。 なぜか滅多にいない歩行者に道を尋ねられた。

岩原まで行くとリゾートホテルが立ち並ぶ。 整地された野球場もあった。
日曜日だが遊んでいる人を見かけない。 自動車はよく通り、ホテルを出入りする人や車も多少はあったので、 すっかり寂れているわけではなさそうだが。

ホテル街を離れると急にひなびる。
水田が広がり、道路沿いに民家や宿屋が並ぶ。 ちょっと奥には山があり、木々の黒っぽい緑の中にゲレンデが目立つ。
フォトジェニックな場所ではあったが、同じような風景が続くので歩いていると飽きてくる。

水田とゲレンデ

30分ほど田舎道を歩いて中里に着いた。
中里のスキー場はゴルフの打ちっぱなしになっていて、遊んでいる人が見えた。 しかしゴルフ場以外は人気がない。
越後中里の駅前には青い列車が何輌か並んでいて、窓に「無料休憩場」と書いてあったが、 周りをロープで囲っているので冬になるまで使えないのだろう。

駅の南に進むと、上越線が山に入っていく。
日が暮れてきたのであまり奥には行かず、ホテルに入った。

上越線

ホテルの周りの店はたいてい閉まっていたが、宿泊客はそれなりにいた。 大浴場や子ども向けの施設があるせいか、年配の人と家族連れが多い。

二日目の朝は、送迎バスで越後湯沢駅に戻った。
岩原や中里にも小さな旅館や大きなホテルがあったが、湯沢の周辺はそれらよりも数が多い。 開いている土産物屋やレストランはほぼ湯沢でしか見なかった。
とはいえ、月曜の午前中なので定休日だったり準備中な店が多い。

越後湯沢駅から、1日に数本しかない上越線に乗った。
2両編成でドアが押しボタン式という田舎な構成だったが、乗客は数十人いた。

列車は山や田畑や民家やリゾートホテルを見ながらゆっくりと進む。
不思議な発音の岩原スキー場前で、ゴルフクラブを3本だけ持ったおじさんが乗車して、 次の越後中里で降りていった。
越後中里駅を出ると山の中に突入する。 長いトンネルが何度もあり、トンネルから出てもほとんど木と山しか見えない。
しかし、橋を渡るときや集落の上を通るときは非常に眺めが良い。

湯檜曽駅で降りる。
線路が山の中腹を走っているため、駅のホームは出入り口よりもかなり高い。 駅の前には道路が通っているが、近くにはほとんど建物がない。
ホームで電車の写真を撮っている若者たちがいて、 電車に乗らなくて大丈夫なのかと見ていたら、駅舎のそばに停めていた車に乗って去っていった。

駅から少し離れたところにいくつか集落がある。 どれも小さいが、宿が多い。 自動車がよく通り、観光バスも見かけたので、それほど寂れてはいないのだろう。
草刈りをしている人を何カ所かで見かけた。月曜日が草刈りをする日なのかもしれない。

土合側に歩くと湯檜曽温泉がある。
湯檜曽川沿いの道に旅館が並ぶが、建物の数は少ない。 山がすぐ裏にまで迫っていた。

湯檜曽川

国道沿いにさらに行くと湯檜曽公園がある。
広場やサッカー場やテニスコートがあり、芝生がきれいに敷かれている。 周りを高い山に囲まれている中で、ぽっかりと開けた無人の公園が異様で面白い。
国道は車がよく通り、何かメロディーを奏でていた。 川岸でバーベキューをしている人や、公園の横に車を止めて写真を撮っている人もいた。

湯檜曽公園

湯檜曽駅まで戻り、さらに南に下ると、幸知という小さな集落がある。
利根川沿いの道の両側に民家や店が並ぶが、すぐに尽きて山になる。
山の中を少し登ると「奥利根民宿村」という看板があり、その先に少し大きな町が広がる。

民宿村の入口

看板の通り、民宿が多いようだった。
真新しいコテージがあったり、寂れたスキーショップと色褪せた川下りの看板が並んでいたりと、 成功しているのかどうか謎である。

幸知に戻りから線路沿いに少し下ると、大穴スキー場がある。
道路から一段上がったところから緑のゲレンデが広がっている。
スキー客向けの店はかなり古ぼけていた。 看板の文字はクセがかなり強く、あえてレトロにしているのかもしれない。

ロッヂ

スキー場の下には町がある。
ここは今までの3つの集落に比べると栄えていて、コンビニもあった。

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コンビニの横のバス亭からバスに乗った。
バスはそこそこ栄えているところを通るが、たまに山と川しか見えない道を走る。 乗客はそれなりにいて、上越線と同じくらいは乗っていた。
水上駅前には観光客向けの店が並び、ここで乗り降りする人が多かった。 小学校下というバス停では小学生が数人乗ってきて、少し先で降りていった。

電車が3時間に1本なのに対してバスは1時間に1本あり、 バス亭を湯檜曽駅周辺だけでいくつも見かけたので、電車よりもバスの方がはるかに便利だろう。

市街地を出て、山と川に挟まれた道を抜け、上毛高原駅前に着く。
料金を払おうとしたら小銭がなく、駅舎に両替に走ったりもした。

上毛高原駅は新幹線の駅だが、駅前にほとんど店がない。構内にも少ない。
利根川の対岸には町があるが、坂と川で隔てられている。 坂の途中には民家と遺跡と公園があるが、あまり人気はない。
高原の上は水田が広がり、すぐ奥に山々が並ぶ。 端から下をのぞくと、山に囲まれた市街地が見える。

上毛高原駅から上越新幹線に乗る。
トンネルをいくつか抜けると広い街に出る。
徐々に山が遠のき、田畑が減り、高い建物が増え、東京に着いた。